留学の歴史・その1

留学とは、一定の期間,外国にとどまって教育を受けたり研究をしたり、
また、学術・技芸を学んだりすることを言います。

 

 

この留学には形態として「受入れ」と「派遣」の2つ、
在留先として「国内」と「海外」の2つがありますが、

 

一般的には「留学」といえば
「派遣の形態で海外に在留するケース」を留学と表現する場合が多いようです。

 

これは、わが国の留学は派遣から始まったという歴史的な経緯が原因していると考えられます。

 

しかし、現在は受入れ留学生の方が派遣留学生(海外留学者)をはるかに上回っています。

 

少しデータとしては古くなりますが、文部科学省が公表しているデータによれば、
2010年度における受入れ留学生は132,720人、派遣留学生(海外留学者)は58,060人です。

 

わが国における留学の歴史は
一般には聖徳太子が派遣した遣隋使に始まると言われることがありますが、
正しくは588年(崇峻天皇元年)に始まります。

 

遣隋使に先だつこと約20年前のこの年、
15歳の善信尼(ゼンシンニ)ら5人の尼がわが国最初の留学生として
2年間に亘って百済へ派遣されました。

 

2年間の留学を終えて帰国した彼女は桜井寺(現在の明日香村)の庵主になり、
多くの女性を得度・出家させるとともに
尼僧の育成に努めて仏法の興隆に貢献したと伝えられています。

 

聖徳太子によって607年には遣隋使(小野妹子を派遣)、
630年には遣唐使(犬上御田鍬を派遣)が始まって約300年間も中国留学は続けられました。

 

しかし、学ぶべきものを期待できなくなったとして、
菅原道真によって894年には廃止されてしまったのです。

 

なお、以降の歴史については、「留学の意味と歴史・その2」で情報提供します。

 

留学の歴史・その2

のサイトでは、留学の歴史・その2として、遣唐使以降の留学の歴史について情報提供します。

 

12世紀から14世紀ごろは大陸仏教への関心が高まって、
各派の僧の留学が盛んに行われた時代です。

 

とくに14世紀初頭からは中国への僧の私的留学が盛んになるとともに、
日中両国間での留学僧の往来の最盛期を迎えました。

 

しかし室町時代に入ると、「日明貿易」以外の目的での中国渡航は
倭寇対策のために禁止されてしまいます。

 

その後、戦国時代から江戸時代にかけては、
1582年(天正10年)に天正遣欧少年使節がローマへ派遣された以外には、
特筆するような留学は行われていません。

 

鎖国体制下でも、朱印船貿易や出島から情報収集した人々のなかには、
留学を希望する人があふれていました。

 

そうした留学希望者に火をつけたのがペリーの来航です。

 

このペリー来航に関連して「幻の留学生第1号」になったのが吉田松陰です。
1854年(嘉永6年)、ペリーの船によるアメリカへの密航留学を企てて失敗し、
処刑されてしまいました。

 

これを契機に、幕府による使節団派遣や
長州・薩摩藩などによる留学生の派遣が本格化したのです。

 

1860年の幕府遣米使節団・1861年の幕府遣欧使節団
1863年の長州藩によるイギリス留学派遣など、
1868年(明治元年)に「在欧留学生一括引上げ令」が発布されるまで
洋行・留学が盛んに行われました。

 

また、1869年に海外旅行規則の頒布により、洋行・留学が一大ブームになったのです。

 

こうした歴史を経て、わが国の戦後復興に大きな役割を果たした留学は、
近年、まったく様変わりしています。

 

グローバル化の進行で社会人や大学生の留学は珍しいものではなくなっていましたが、
柔軟性に富み吸収力のある年頃から
世界に通用する語学力を修得するとともに国際感覚を身に付けるために、
高校生の留学も普通に行われる時代を迎えているのです。

 

 

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