わが国の留学生受入れの歴史

わが国の留学生の受け入れの歴史は、明治維新から13年後の1881年に、
朝鮮から3名の留学生を受け入れたことに始まります。

 

この朝鮮留学生を受け入れたのは、慶応義塾の福沢諭吉と同人社の中村正直です。

 

その15年後の1896年には、当時の清国から13名の留学生を、
当時東京高等師範学校の校長であった近代柔道の創始者の嘉納次五郎が受け入れました。

 

日清戦争以降は主に中国からの留学生が増加していき、
日露戦争後の1906年頃には海外留学生は1万人に達したのです。

 

こうした経緯の中で、1901年に「文部省直轄学校外国人特別入学規程」が制定されました。
これによって外国人留学生の直轄学校への入学がスタートし、
清国・インド・アメリカ・フィリッピンから58名の留学生を受け入れました。

 

太平洋戦争下には、特殊な留学生が誕生します。

 

わが国の支配下にあったビルマ・インドネシア・フィリピンなどの国々で
軍政府を支える現地人養成のため、1943年と翌年にそれぞれ100名ずつ、
各国支配層の子弟を受入留学させたのです。
この留学生は「南方特別留学生」と呼ばれました。

 

戦後、GHQによって留学生はすべて帰国させられ、
わが国の留学生受入れは一度幕が下ろされます。

 

新たにスタートしたわが国の留学生受入れ第一号は、
1951年に復活した国際学友会の日本語クラスでの私費留学生教育です。

 

1954年には文部省による「国費留学生受入れ制度」がスタートしましたが、
わが国の留学生受入れは60年代も70年代も緩慢な発展でした。

 

80年代からは1996・1997・2006年に一時的に減少したものの、
2010年まで増加傾向が続きました。

 

2011年からは減少傾向に転じていますが、
日本学生支援機構の調査によれば2012年の受入れ留学生は137,756人の状況です。